redym’s diary

※ブログタイトル考え中※

自分に何が起きたかを振り返る ③ブログと休職。

※前々回からの続きです。

 

新しい仕事で無理をした結果、体調を崩して会社に行けなくなった最初の日。とりあえず実家に帰りました。1日ただ泣いて過ごしていましたが、翌日に取引先でのプレゼンがあったので、夕飯を食べて自宅へ帰りました。正直、あまり記憶がありません。

翌日の朝は6時少し前に目が覚めましたが、やはり起きたときから泣いていました。それでもプレゼンがあるから会社へ行こうと顔を洗って化粧をしようとしましたが、涙が出てきて化粧ができませんでした。

そんな様子を見かねて夫が「自分も会社を休むから、一緒に病院へ行こう。」と言ってくれました。それまで何を相談しても最終的には「仕事辞めたら?」しか言わなかった夫なので、とても驚きました。そして夫と一緒に近くの心療内科へ。

診断は「適応障害」でした。このときまで、私は「適応障害」というものを全く知りませんでした。ひとまずは休息が必要ということで、とりあえず1週間休むことにしました。診断を受けたことと1週間休みたい旨を伝えたときの上司の返事は「了解。」だけ。悔しいような悲しいような気持になりました。

 

適応障害ってなんだろう…?

心療内科の先生の説明だけでは、なぜ私が?どうして?このあとどうすればいいの?何がいけなかったの?と不安と疑問だらけでした。

 

そこで、とにかくネットで調べて、同じ「適応障害」と診断された方々のブログを読みあさりました。皆さんの体験談や、現在進行形での療養の様子を拝見して、やっと自分の状況を少し客観的に考えられるようになりました。

そして、仕事が辛くて続けられないなんて甘えだと思っていた私の価値観が、がらっと変わりました。

 

私には今、休息が必要なんだ。そして、私と同じように一度休んで、また自分を立て直そうとしている人たちがこんなにいるんだと。

あれだけ期待に応えようと頑張っていても、仕事ができなくなれば「了解。」として言ってもらえない、その程度のことで自分自身の気持ちと身体をないがしろにしていたことが、すごくバカバカしく思えました。

 

私はなぜ、あんなに必死だったんだろう?

会社も仕事も全てがどうでもよくなって、そして2か月の休職を決めました。

 

 

たくさんのブログから、たくさんの勇気をもらいました。もし、自分の経験とか思ったことが、同じように役に立てばと思い、ブログを始めてみました。

 

振り返りはあと1回か2回にして、そのあとは現在進行形で書いていければなと思います。8月からの復職も決まりましたので。

 

ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。

自分に何が起きたかを振り返る ②会社に行けない。

※前回のブログからの続きです。

 

新しい部署に配属された後、約1週間経過した時点で体調面での違和感は感じていましたが、仕事自体はその時点では順調に進んでいました。

最初は戸惑いましたが、過去の資料を見たり、先輩に質問したりしながら、営業用の提案資料を作って。上司から褒められることもありました。このときは、この調子なら続けられそう、という気持ちにもなりました

 

 

ただ、なぜか”やりがい”や”達成感”といったものは何も感じられませんでした。

それでも、仕事だから、期待されているから、やらなければ…と思い、企画と提案資料の作成をひたすら行っていました。でも、順調に進んでいるうちはよいのですが、大小問わず何か躓くことがあると、全部投げ出したくなる衝動に駆られていました。

今、冷静に振り返ると、完全に「イヤイヤやっている」状態だったということがよくわかります。でも、当時の私は、今思えば本当に不思議なのですが、「自分が望んで異動したのだから、楽しく仕事をしなきゃ」という半ば自己暗示的な使命感を持っていました。

だから、普段ならグチをこぼしていた親しい人であっても、楽しく仕事してるよ!と明るい話しか出来ませんでした。前の職場の人たちが開いてくれた私の送別会でも全く同じ調子で、前の職場に戻りたい!と思ったけれども一言も言えず、ひたすらお酒を飲みまくり。送別会の帰り道は一人で大泣きしながら帰りました。

 

そんな調子で気が付けば5月。

このころには、実際に提案書を持って取引先へ出向くこともありました。取引先へ出向きますので、落ち込んだり嫌な思いをすることも、自ずと増えました。

 

それにつれて、体調も加速度的に悪くなりました。平日は就寝時刻に関係なく朝4:00~5:00に動悸がして目が覚め、落ち着かなくてそわそわして二度寝もできず、そのまま会社へ…。でも、昼間も夜も眠くならず、いつまでも頭がすっきりしないままというのが常態化していました。

通勤電車の中で気分が悪くなり、途中下車することもありました。それでも、会社には行っていました。

段々と、土日の朝も同じように早く目がさめるようになり、強い不安に襲われて涙が出てくることもありました。

でも、会社に行けばそんな症状は出なくて仕事はでき、表面的には新しい部署の人たちとも、仲良くやれていました。

 

5月の末、前々から有給休暇をとっていて、楽しみにしていた旅行に行きました。この2ヶ月の心の支えの一つでした。旅行は本当に楽しくて、仕事のことも何もかも、全て忘れて幸せな気持ちになれました。

旅行が終わって、家に帰ったら、またあの日常に戻るんだという思いが、どわっと胸の中に溢れて、不安で悲しくて、何もできなくなってしまいました。誰かに笑いかけることすら出来なかったです。

 

そして、出社しなければいけない朝、この日も4:00に目覚めました。目覚めた瞬間から涙が止まらなくて、そわそわして座っていることすら出来ない。パニック状態でした。

そのまま気がつけば7:00。母に電話をして、とりあえず今日は休んで帰って来なさいと言われ、会社を休みました。これが、結果として休職の1日目になりました。

 

今振り返れば、あのとき母に電話をしてよかった、会社を休んでよかったと、心から思います。

自分に何が起きたかを振り返る ①なんか変。

最初の記事として、なぜブログを始めようと思ったのか、という話を、自分が休職したときの様子とあわせて、書きたいなと思います。

長くなりそうなので、何回かに分けて…。

 

 

 

私が自分に対して「あれ?おかしいな?」と思い始めたのは、今年の4月に部署を異動してすぐのことでした。

 

私は新卒で今の会社に入社して以来、今年の3月まではメイン顧客であるユーザー企業に常駐し、様々なシステム開発系プロジェクトに携わってきました。

プロジェクトというものは、チームでやり遂げるものです。中学校や高校の学校行事を思い浮かべてもらうといいのかもしれません。学校行事に例えれば、私は文化祭実行委員(委員長ではない)といったところでしょうか。

メイン顧客の社員さんたちは、本当に素晴らしい方ばかりでした。人間関係という意味ではとても恵まれており、それゆえに、仕事にやりがいを感じて頑張ることができていました。この職場を離れたくないな、と強く思っていました。

 

転機となってしまったのは、2月上旬の人事面談でした。

会社の幹部クラスにはよく飲みに連れて行ってもらっていましたが、あるときから、新しく立ち上がる部署への異動を勧められるようになりました。世の中の人が普通に知っているような大企業との提携の話も進んでおり、興味があればぜひどうか、と言ってもらっていました。これまでメイン顧客で培った自分のスキルを使って、より大きなプロジェクトを担当できると思うと、離れがたい職場を離れてしまう寂しさを、新しい仕事への期待が上回りました。

 

そして2月上旬の人事面談で「新規部署に異動したい」という意思表示をしてしまいました。

”~してしまいました”という表現が正しいのか、ちょっと微妙ですね。今振り返れば、この意思表示が異動につながり、そして適応障害につながるわけですが、意思表示をしたのは間違いなく私です。新規部署がどのような業務を行うのか、詳しい確認などせずに。このことが、4月以降の私をさらに苦しめることに…。

 

そして、4月になり、新規部署へ異動しました。新規部署は、既にあったとあるチームのメンバーはそのままに、名前を変えただけのものでした。私はそこへ4月から、1名追加された形になります。異動した日に驚いたことを、ざっと挙げてみます。

 

・チームメンバーは私がやってくることを知らなかった。

・新規部署が4月から何をやるのか、具体的なプランはまったくの白紙。

・だが、期限と達成目標だけ決まっている。

・当然、大手企業との提携もほぼ白紙。

・新規部署は営業部門であり、私はまったくの畑違い。研修もない。

・新しい上司から、予習してついてこい、と言われる。なんだ、予習って。

 

初日から、とてつもなく落胆しました。夕方から帰り際まで、ずっと頭痛と眩暈がしていたのを覚えています。それでも、幹部クラスから、新規部署は「会社の期待を背負っている」と聞かされ、そして、私はこれまでの働きぶりと大学のときの専攻(ちょっとだけ特殊)が評価されて引き抜きたかったという話を聞かされ、何とか頑張らなくちゃと思っていました。

 

それからは、手探りの日々です。

最初に異変を感じたのは、異動してから約1週間後。朝は弱くてなかなか起きられなかったのに、なぜか朝5:00に目が覚める。アラームは7:00にかけているのに。しかも、起きたときに胸がドキドキしている。なんか変。

でもこのときは、まだ新しい職場に慣れていないからだろうと、一旦スルーしました。

そして、このころから、スマホのアプリでメモ程度につけていた日記には、「不安」「戻りたい」「頑張らなきゃ」「成果を出さなきゃ」という言葉が並ぶように。

 

このときは、ただ前に進むことしかできませんでした。それ以外の選択肢は、私にはないと思った。なぜなら、自分から希望をして、異動したから。

何とかしよう、頑張ろう、ただそれしか、考えられなくなっていました。

 

 

はじめの一歩。

初めまして。

IT系中小企業に勤めている、現在休職中の29歳です。

休職の理由は「適応障害」ですが、今はほぼ回復して8月上旬には復職の予定です。

 

長い休みの間に、なぜ自分が適応障害になってしまったのかをじっくり考えました。

具体的な原因は、正直よくわかりません。

ただ、1つ確信的であったのは、私の人生はずっと、"誰か"や"何か"の「期待に応えなきゃ」という強迫観念に駆られていたな、ということ。

だから、自分のやりたくない仕事も「楽しい」と自分に思いこませて何とかこなしていて、ついに我慢が効かなくなってしまったのかな…と反省。

 

これから先の人生は、

私がやりたいこと・本当に楽しいと思うことを優先して生きていきたい。

けれど、私がやりたいこと・本当に楽しいと思うことってなんだろう…?

 

この先の人生を自信を持って歩ける自分を作るための記録として、ブログを始めます。

当面は、大好きな「読書」「書店」をテーマにした記事や書評、そして適応障害の体験談(リアルタイム進行…?)を中心に書いていきたいと思います。

 

まずは継続できるように…。そしていつか、わずかでも誰かの役に立つブログにできるよう頑張りたいと思います。